Zuva’s redflag startups: 遺伝子情報革命の先駆者が陥った落とし穴 – 23andMe社から学ぶ教訓

Zuva’s red flag startupsは、かつて注目されていたスタートアップのその後についてZUVAアナリストが解説するコーナーです。”red flag”とは英語で「注意を喚起するサイン」であり、注目された後に音沙汰がなくなったスタートアップや大きくピボットしたスタートアップなどを紹介していきます。

【企業名】:23andMe
【地域】:Sunnyvale, California, United States
【設立年】:2006/04/01
【累計資金調達額】:$1.12B
【直近ステージ】:Post-IPO Equity
【主な投資家】:Google, Google Ventures, Sergey Brin, Johnson & Johnson Development Corporation
【URL】:https://www.23andme.com/en-int/
自宅で唾液を採取して送るだけで自分の健康リスクや祖先の情報まで分かる——。そんな革新的な遺伝子検査サービスが日本でも少しずつ普及しつつある。この新しい技術分野を切り開いた先駆者が米国の23andMe社だ。かつてシリコンバレーで最も期待されるスタートアップの一つとして脚光を浴びていた同社だが、2025年3月に突如として破産申請を行うという衝撃的な展開を迎えた。一体、何が起きたのか。今回の記事では、遺伝子検査という最新技術を一般消費者向けに展開した23andMe社の軌跡を辿りながら、その成功と失敗から私たちが学ぶべき教訓を探っていく。
23andMe社は2006年、Anne Wojcicki氏によって設立された。彼女はGoogle社創業者Sergey Brin氏の元妻であり、スタンフォード大学で生物学を学んだ経歴の持ち主だ。設立当初から「個人が自分自身の遺伝情報にアクセスできるようにする」という革新的なビジョンを掲げ、消費者向け遺伝子検査の先駆者としてその名を知られるようになった。2007年に最初の製品を発売した同社は、当初199ドルという比較的手頃な価格で遺伝子検査キットを提供し、消費者が自宅で唾液サンプルを採取して郵送するだけで、詳細な遺伝情報が得られるサービスを展開した。
同社の技術的強みは、大規模な遺伝子データベースの構築とその活用による分析能力にあった。23andMe社は顧客から提供された唾液サンプルからDNAを抽出し、遺伝子の特定の変異を分析することで、顧客の健康リスク、祖先情報、さらには体の各器官の特徴(例えば苦味を感じる能力や耳垢のタイプなど)に関する情報を提供していた。同社の分析技術は、多数の遺伝子変異を同時に検査できる技術に基づいており、膨大な量の遺伝情報を比較的低コストで処理することが可能だった。
特に注目すべきは、23andMe社が構築した世界最大級の消費者遺伝子データベースだ。2020年には1000万人以上の顧客データを保有するまでに成長した同社のデータベースは、学術研究や製薬会社との共同研究において極めて価値の高い資産となっていた。例えば、パーキンソン病やアルツハイマー病などの研究において、同社のデータベースは貴重な情報源として活用されていた。
さらに、23andMe社は顧客体験を重視したユーザーフレンドリーなサービス設計も強みとしていた。複雑な遺伝情報を一般消費者にも理解しやすい形で提示するウェブプラットフォームを開発し、顧客は自分の遺伝的特徴や健康リスク、祖先情報などを直感的に把握することができた。
市場からの評価も当初は極めて高く、23andMe社は多くの著名な投資家から資金を調達することに成功した。Google Ventures社をはじめとする有力ベンチャーキャピタルが投資を行い、2018年には製薬大手GlaxoSmithKline社から3億ドルの出資を受けるなど、業界内外から高い期待を集めていた。2021年6月には特別買収目的会社(SPAC)との合併を通じて上場を果たし、企業価値は約35億ドルと評価された。
しかし、この上場がピークであったことが後に判明する。2023年から2025年にかけて、同社の株価は急落し、市場価値は90%以上も減少した。そして2025年3月24日、ついに23andMe社は破産へと至ったのである。
なぜ、かつて革新的なビジネスモデルで注目を集めた23andMe社はこのような状況に陥ってしまったのだろうか。その背景には複数の要因が絡み合っている。
最も大きな問題の一つが、プライバシーとデータセキュリティへの懸念の高まりだ。2023年10月、同社は約690万人分の顧客データが不正アクセスによって漏洩したことを公表した。このデータ漏洩は同社の信頼を大きく損なう結果となった。特に、遺伝子データは極めて個人的かつ機密性の高い情報であるため、その影響は甚大だった。実際、データ漏洩後には多くの消費者団体や専門家が23andMe社のユーザーに対してデータの削除を推奨する事態となり、顧客離れが加速した。
また、規制環境の変化も同社の経営を圧迫する要因となった。2013年には米国食品医薬品局(FDA)が23andMe社の健康リスク検査サービスに対して警告を発し、一時的にサービスの提供停止を余儀なくされた。その後、限定的なサービス再開は認められたものの、様々な規制上の制約が課されることとなり、ビジネス展開に大きな影響を与えた。
さらに、ビジネスモデルの転換に伴う混乱も大きな問題となった。当初は消費者向け遺伝子検査サービスで成長してきた23andMe社だが、持続的な収益確保のために製薬企業とのパートナーシップ強化に舵を切り、遺伝子データを活用した創薬事業へと注力するようになった。しかし、この戦略転換は必ずしも順調には進まず、2022年から2024年にかけて複数回の人員削減を実施することになった。特に2023年には従業員の約30%を削減する大規模なリストラを実施した。
市場競争の激化も見逃せない要因だ。23andMe社がパイオニアとして切り開いた消費者向け遺伝子検査市場には、AncestryDNA社やMyHeritage社、Color Genomics社など多くの競合企業が参入し、価格競争が激化した。特にAncestryDNA社は祖先調査という明確なフォーカスで市場シェアを拡大し、23andMe社のポジションを脅かした。
加えて、消費者の関心の変化も同社の業績に影響を与えた。初期には画期的だった遺伝子検査サービスだが、一度検査を受ければ基本的に再購入の必要がないため、新規顧客獲得が次第に困難になっていった。
その結果、2023年度の売上高は前年比約36%減の2億3100万ドルまで落ち込み、継続的な損失を計上する状況が続いた。2024年末には同社の負債は約9億ドルに達し、それに対して現金および現金同等物は約2億ドルまで減少していた。このような財務状況の悪化を受けて、2025年3月の破産申請に至ったのである。
23andMe社の軌跡から、私たちは何を学ぶことができるだろうか。
まず第一に、いかに革新的な技術やビジネスモデルであっても、消費者の信頼とプライバシー保護は最優先事項であるということだ。特に遺伝子情報のような高度に個人的なデータを扱う場合、セキュリティ対策の重要性はいくら強調してもし過ぎることはない。23andMe社のデータ漏洩事件は、一度失われた信頼を取り戻すことがいかに困難であるかを如実に示している。
第二に、規制変化への対応力の重要性だ。新しい技術分野では規制環境が流動的であることが多く、規制当局との良好な関係構築や、規制変更に柔軟に対応できる事業構造の構築が不可欠となる。23andMe社のケースでは、FDA規制への対応が事業展開に大きな影響を与えたが、より早期から規制当局との対話を深めていれば、異なる展開があった可能性もある。
第三に、持続可能なビジネスモデルの確立の重要性だ。一度きりの購入で完結するサービスからどのように継続的な収益を生み出すか、という課題は多くの企業が直面する問題である。23andMe社は製薬会社とのパートナーシップによる収益化を目指したが、同社の場合は残念ながらこの戦略転換が必ずしも期待通りの成果をもたらさなかった。
最後に、競争優位性の持続的な構築の重要性だ。23andMe社は巨大な顧客データベースという強みを持ちながらも、それを持続的な競争優位性に転換することができなかった。先行者利益だけでは長期的な成功は保証されず、常に顧客に対する新たな価値提案を行い続けることが求められる。
今後、遺伝子検査技術を含むヘルステック分野で事業展開を目指す企業は、23andMe社の事例から多くを学ぶべきだろう。消費者プライバシーの保護を最優先事項とし、規制環境の変化に柔軟に対応しながら、持続可能なビジネスモデルの構築に注力することが、長期的な成功への鍵となるはずだ。破産という形で幕を閉じることになった23andMe社だが、消費者向け遺伝子検査市場を切り開いたパイオニアとしての貢献は、今後も多くの企業が参考にすべきである。
(出典)
https://blog.23andme.com/articles/open-letter
https://www.reuters.com/business/healthcare-pharmaceuticals/dna-testing-firm-23andme-files-chapter-11-bankruptcy-sell-itself-2025-03-24/
https://canvasbusinessmodel.com/blogs/competitors/23andme-competitive-landscape
https://www.aljazeera.com/news/2025/3/26/why-are-users-of-23andme-being-urged-to-delete-their-data