Zuva’s redflag startups: 次世代スマートフォンの野望と挫折:Humane社のAIピン開発の教訓

Zuva’s red flag startupsは、かつて注目されていたスタートアップのその後についてZUVAアナリストが解説するコーナーです。”red flag”とは英語で「注意を喚起するサイン」であり、注目された後に音沙汰がなくなったスタートアップや大きくピボットしたスタートアップなどを紹介していきます。
スマートフォンの次を担う新たなウェアラブルデバイスの開発が世界的に活発化している。Google社のグーグルグラス、Meta社(元Facebook)のレイバンスマートグラス、さらにはApple社のVision Proなど、次世代コンピューティングデバイスとして様々な製品が登場している。こうした「ポストスマートフォン」時代の先駆者として一時期脚光を浴びながらも、急速に市場での地位を失ったのがHumane社の「AIピン」である。Apple社の元幹部が創業した同社は、莫大な資金を調達し、業界の期待を一身に集めながら、わずか数カ月で失速した。今回の記事では、AIピンの開発に挑み、そして失敗したHumane社の事例を分析する。

【企業名】:Humane
【地域】:San Francisco, California, United States
【設立年】:2017/01/01
【累計資金調達額】:$230M
【直近ステージ】:Series C
【主な投資家】:Marc Benioff, Sam Altman, SoftBank Capital, Microsoft
【URL】:https://humane.com/
(画像参照:https://humane.com/)
Humane社は2018年、Apple社のUI部門でリーダーポジションにあったImran Chaudhri氏と妻のBethany Bongiorno氏によって設立された。彼らは合わせて20年以上Appleに在籍し、iPhoneやiPadなどの象徴的な製品の開発において中心的な役割を果たした経歴を持つ。この豪華な経歴を持つ創業者たちは、「テクノロジーが人間性を高める」という理念のもと、Humane社を立ち上げた。
同社の技術的強みは、AIと小型デバイス技術の融合にあった。僅か約55グラムの小型デバイスには、Qualcomm社のスナップドラゴンプロセッサーを搭載し、4Gモバイル接続機能を内蔵していた。さらに特筆すべきは、レーザーインフラレッド投影システムを採用し、ユーザーの手のひらに情報を投影する革新的なインターフェースを実現していた点だ。カメラ機能も備え、画像認識によって実世界のオブジェクトを識別できるほか、GPT-4などの大規模言語モデルと接続することで、高度な会話型AIアシスタント機能を提供することが可能になった。
Humane社の市場からの評価は当初極めて高く、ベンチャーキャピタルからの多額の資金調達に成功していた。2023年3月には、シリーズCで約1億ドル(約130億円)を調達。これにより同社の総調達額は2億3000万ドル(約300億円)を超え、企業価値は約10億ドル(約1300億円)と評価されていた。投資家にはSam Altman(OpenAI社のCEO)やMarc Benioff(Salesforce社の創業者)などの著名人に加え、Microsoft社やLG社などの大手企業も名を連ね、業界内での高い期待を示していた。
そして、ついにAIピンは2023年11月にデバイス代として699ドル(約10万円)、月額24ドル(約3500円)のサブスクリプション型のビジネスモデルとして販売が開始された。しかし、Humane社のAIピンは発売後わずか数カ月で市場での評価を急速に失っていった。原因は多岐にわたる。まず、製品のパフォーマンスと基本機能に深刻な問題があり、特にバッテリーは3〜4時間しか持たず、ウェアラブルとして致命的だった。さらに、長時間使用による過熱も報告され、不快感を招いた。
さらに、AIアシスタントの応答速度と精度にも問題があり、アメリカのニュースサイトThe Vergeのレビューでは、基本的な質問にも不正確で応答に10秒以上かかることが指摘され、リアルタイム利用を想定した製品としては致命的な遅さだった。
ハードウェア設計にも問題があり、磁気式取り付け機構は不安定で、服から外れやすいと報告された。これによりデバイスの損傷リスクが高まり、使い勝手が大きく損なわれていた。

また価格設定も課題で、本体699ドルに加え月額24ドルのサブスクリプションが必要であり、多くの消費者は同価格帯のスマートフォンと比べて機能が限定的にもかかわらず高すぎると評価した。
AIピンは「ポストスマートフォン」を目指していたが、核となる機能が不足していた。テキスト送信や写真撮影は可能だったものの、ソーシャルメディアやアプリのエコシステムがなく、スマートフォンの完全な代替にはなり得なかった。
これらの問題が重なり、市場での評価は急速に悪化。2024年1月には、AIピンの販売台数はわずか1万台程度にとどまっていると報じられた。同社は当初、年間10万台の販売を目標としていたが、その目標からは程遠い結果となった。市場での失敗を受け、Humane社は急速に経営危機に陥った。2024年2月には従業員の約25%、約40人を解雇する事態となったが、事態を好転させることはできなかった。2024年4月、Humane社はついにHP(Hewlett-Packard)社に約1億1600万ドル(約150億円)で買収されることが発表された。
Humane社の失敗から、ポストスマートフォン時代を目指す企業が学ぶべき重要な教訓がいくつか浮かび上がる。まず、新しいデバイスカテゴリーを創出する際には、既存の製品からの明確な価値の向上が不可欠である。AIピンの事例は、新しいテクノロジーを導入するだけでは不十分であり、ユーザーの日常生活における実用性と信頼性が極めて重要であることを示している。
また、製品発売前の徹底したテストと品質管理の重要性も再認識すべきだ。バッテリー寿命や過熱といった基本的な問題は、適切なテストプロセスによって事前に特定され、改善されるべきだった。さらに、ビジネスモデルについても、高額なハードウェアと月額サブスクリプションを組み合わせたアプローチは、特に新カテゴリーの製品では慎重に検討する必要がある。ユーザーが感じる価値と支払う価格のバランスが取れていなければ、市場への浸透は困難である。
テクノロジーの進化は常に試行錯誤の連続で、Humane社の野心的な挑戦とその結果は、次世代ウェアラブルデバイスの開発における重要な転換点となり、より優れた製品誕生の礎となるかもしれない。
(出典)
https://www.theverge.com/2023/3/9/23631911/humane-apple-startup-wearable-camera-artificial-intelligence-series-c-funding-round
https://www.unite.ai/what-went-wrong-with-the-humane-ai-pin/
https://www.sfgate.com/tech/article/humane-ai-shuts-down-flop-20175974.php
https://www.fastcompany.com/91281283/hp-just-blew-116-million-of-your-ink-cartridge-money-to-buy-one-of-silicon-valleys-biggest-flops
https://www.404media.co/the-humane-ai-pin-a-700-brick-of-e-waste/